戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。
日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。
●著者/池田大作
●出版社/聖教新聞社
●発行年月日/2010年09月08日
●ISBN/9784412014558
●サイズ/B6変型判
●ページ数/416
【目次】
師子吼/師恩/前進/飛躍
【各章の概要】
【師子吼の章】1973年(昭和48年)7月、小説『人間革命』が待望の映画化に。脚本・橋本忍、監督・舛田利雄。第一部の圧巻は、戸田先生の獄中の悟達。第二部のテーマは十界論。2時間40分の大作は、「師弟の心の交流、人間の精神の世界がよく表現され、感動できる芸術作品になっている」と、伸一も高く評価。「青少年映画審議会」の推薦を受け、秋の芸術作品にも決定。「原水爆禁止宣言」の9月8日から東京・有楽座でロードショー公開。全国の主要都市でも封切られ、日本映画の興行収入の記録を塗り替える大ヒット作となった。「続・人間革命」も同51年6月に公開され、大好評を博す。
7月11日、聖教新聞は創刊4千号を刻み、伸一は、前年秋から、足繁く新聞社を訪れ、記者一人一人を激励。生涯を広宣流布に捧げ、学会と共に生き抜く、一騎当千の職員・リーダーの育成に全力投球。伸一の生命を削るかのような指導によって、聖教に永遠不滅の精神の柱が打ち立てられ、言論城に赫々たる師弟の太陽が燦然と昇ったのである。
【師恩の章】師弟の呼吸が合致してこそ、広宣流布は永遠なる大河の流れとなる。伸一は、後継の人材の育成のため、7月28日から1カ月間に及ぶ夏季講習会に力を注ぐ。13期、約10万人が参加。彼は、講義担当者会、全体集会、代表との懇談会、記念植樹、記念撮影などに相次ぎ出席。「白糸会」の集いにも出席し、釣りや懇談を通し、入魂の指導・激励。その間、8月11日からハワイに完成した第二ハワイ会館、マウイ会館の開館式、「パン・アメリカン連盟」の結成式に出席。日蓮仏法を基調とした平和と人道の波は、大潮流となって南北アメリカに広がっていった。
帰国後も9月から全国への激励行を。8日には戸田の故郷・北海道厚田村での「村民の集い」に。翌日は、第1回北海道青年部総会に出席。更に北海道女子部の基礎を築いた故・嵐山春子の13回忌法要に。帰京するや、埼玉県の上尾市で行われた県幹部総会で、今後の埼玉の役割を熱く語る。連続闘争は、関西・中国方面へ。島根では、盛大な「'73山陰郷土まつり」に。翌日は鳥取県幹部総会へ。10月には、正本堂建立1周年行事に参加、来日した世界各国のメンバーを激励。11月の第1回栃木県幹部総会では、尋常小学校時代の恩師・檜山先生夫妻と旧交を温め、深い恩義に真心で応えるのだった。
【前進の章】学会は宗教界の王者となった。その学会を永遠ならしむるために、各方面・県・区を微動だにせぬ黄金柱にと、各地を回り続けた。なかでも、11月には、関西から、空路、松山に向かい、四国に全魂を注いだ。愛媛県幹部総会(11日)、徳島県幹部総会(13日)に。7年ぶりの訪問となった愛媛では、地域への新聞購読の推進に尽力する無冠の友を、更に、松山会館、新居浜会館に立ち寄り、管理者の家族、地元の同志と勤行し懇談。また記念撮影などして激励。県総会のあと、地域広布の推進のために発足した松山、新居浜の市協議会の結成式に出席。松山長、新居浜長を任命。改革と創造なくして進歩と前進はない、と行動。四国文化会館では愛媛で学生部グループ長をしていた岡島喬雄の遺徳を偲び“一人のために”誠意を尽くす。
徳島に向かう途中、津田の松原ではグラビアの撮影をすると共に、懐かしき同志と再会し、純真な信心を貫いて頑張っている姿を賛嘆。1年5カ月ぶりとなった徳島の県総会では御書を拝し、信仰への“不変”の重要性を講演。徳島文化会館の建設用地の視察、四国合同会議への出席など、四国の新しい飛躍のために力を尽くし抜く。地方指導を終えると、11月23日には、東京・品川区幹部総会、12月には同じく中央区、墨田区、台東区の幹部大会に出席。そして掉尾を飾る第36回本部総会が初めて東京以外の大阪・中之島の中央公会堂で開催され、伸一は、明年「社会の年」の未来展望と世界広布の展開に言及した。
【飛躍の章】「社会の年」(昭和49年)は、第4次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動の中で幕が開けた。元日の勤行会は「世界平和祈願広布勤行会」を兼ねて行われ、伸一は“如説修行”の大切さを力説。2日は新年の集い、3日は東京未来会第4期、静岡未来会第1期の合同の集いに出席。年頭からフル回転で活動を推進。特に、民衆の連帯を築く学会の縮図として重視する座談会の充実に心を砕く。聖教新聞でも座談会特集の連載を開始。19日からは九州指導へ。九州大学会総会、九州で初の第22回青年部総会、本部幹部会に臨む。青年部総会では反戦出版や核廃絶1千万署名などの運動を採択。伸一は帰りがけ県長の要請に応じ田川会館を訪問。会場では、炭坑閉山で住民が減る中、懸命に信心の炎を燃やす婦人部員たちを激励。鹿児島に舞台を移し、「水俣友の集い」や離島本部の第1回代表者会議に集ったメンバーに渾身の指導を重ねた。
26日には、10年ぶりとなる香港訪問の旅へ。記念撮影会の諸行事や香港大学、香港中文大学への公式訪問と多忙を極めた。「歓迎の夕べ」では、メンバーの、この10年間の敢闘に最大の讃辞を贈った。また「東南アジア仏教者文化会議」の第1回会議では、『諫暁八幡抄』を通し“仏法西還”とは、仏法の人間主義に基づく平和の哲理をアジアの人々の心に打ち立てること、と語り、伸一の世界平和への闘争が、いよいよ本格的になるのだった。
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