戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。
(聖教ワイド文庫もあります)
●著者/池田大作
●出版社/聖教新聞社
●発行年月日/2011年11月18日
●ISBN/9784412014763
●サイズ/四六判・上製
●ページ数/384
【目次】
未来/学光/勇気/敢闘
【各章の概要】
【「未来」の章】
1976年(昭和51年)4月16日、札幌創価幼稚園が開園。初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖の有縁の地である北海道に、山本伸一によって、創価一貫教育の最初の「教育の門」が完成したのである。入園式の前日、初めて幼稚園を訪れた伸一は園内を丹念に視察し、教職員と懇談。地域の方々を招き記念の集いを開催するなど、具体的な提案やアドバイスを重ねる。入園式当日、伸一は、第1期生となる園児を自ら出迎え、最後の園児と一緒に式場に入り、園児席の最後列に座って見守る。式の途中や記念撮影で泣き出した園児がいれば抱き上げて自分の膝の上に座らせ、保育室への移動で混乱をきたせばマイクを手にして誘導する。終了後、バスに関心を示す園児を見て、当初の予定を変更して通園バスを走らせるよう提案した伸一は、一緒に乗り込み、車内で楽しい交流を続ける。その一方で、子どもの安全を願い、通園状況を詳細にチェックしていく。「皆のために何でもしたい」という伸一の心情と行動を目の当たりにした教職員は、創立者の思いを伝え、人の心がわかる子どもを育てようと誓う。その後も伸一は、折々に幼稚園を訪れ、園児と心の絆を結んでいく。伸一と教職員の情熱に育まれ、園児は伸び伸びと成長し、未来の大空へ羽ばたいていく。幼児教育の希望の大城と輝く創価幼稚園は、札幌に続き、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国の海外5カ国・地域に開園。各国・各地域にあって創価の人間教育は絶賛され、「モデル幼稚園」など、高い社会的評価を得ていくことになる。
【「学光」の章】
創価大学に通信教育部が開設され、5月16日の開学式に全国各地から幅広い年代の第1期生が集い、キャンパスは活気に溢れる。通信教育部の開設は、伸一が、創価大学の設立を構想した当初からの念願であり、民衆教育をめざす彼の大きな眼目であった。開設準備を進めるなかで、相談を受けた伸一は、通信教育部の機関誌を「学光」と命名。学の光で人生、社会を照らしゆく――創大通教を象徴する永遠の指針が決まる。開学式に伸一は、万感の思いを込め、テープに録音した長文のメッセージを贈る。その中で、「創価教育体現の第1期生」「皆さんこそ通信教育部の創立者」と、限りない期待を寄せる。意欲に燃えて入学した通教生だが、ダンボールに梱包された教科書が届くと、戸惑う人も少なくなかった。思うように進まぬ勉学への不安を抱え、日程をやり繰りして参加した夏期スクーリング。そこに創立者の伸一が訪れ、皆さんこそ、創価教育の体現者であると励ましを贈る。さらに代表メンバーとの懇談や居あわせた通教生との記念撮影など、寸暇を惜しんで激励が続く。伸一の心に応えようと通教生たちは苦闘を重ねながら勉学に励み、卒業の栄冠を勝ち取っていく。伸一は、第1期生を送り出したあとも、通教生の催しである学光祭への出席をはじめ、渾身の励ましを重ね続けた。やがて、卒業生からは、医学・工学博士や、公認会計士、社会保険労務士、司法書士、教員などとして社会に貢献する人材も数多く育ち、創大通教は、まさに「民衆教育の大城」「生涯教育の光城」として、21世紀の大空に燦然とそびえ立つ。
【「勇気」の章】
青年時代に、勇気をもって自らを鍛え、精進を重ねるならば、人生を勝利する確固不動の基盤をつくることができる。創大通教の開学式が行われた日の夜、学生部の2部(夜間部)に学ぶ男子学生による「勤労学生主張大会」が盛大に開催される。前年に、伸一の提案で2部学生の集い「飛翔会」が結成され、メンバーは伸一と同じ青春の道を歩む誇りに燃え、先駆を標榜する学生部の中でも一段と輝きを放っていた。主張大会では、創作劇のあと勤労学生の使命や反戦運動などをテーマに5人が登壇。学生にしらけ現象が蔓延するなか、社会建設への気概あふれる主張に、来賓は賛同の拍手を送る。その様子を聞いた伸一は、嬉しそうに頷きながら、「飛翔会」の更なる活躍を期待する。
「7・17」――それは、事実無根の公職選挙法違反の容疑をかけられ、大阪府警に不当逮捕された伸一が、出獄した日である。その20年目を記念し、伸一は、新しい学会歌の制作に取り組む。多忙を極めるなか、歌詞を何度も推敲し、音楽関係者の協力も得て曲作りに励む。発表の目標としていた本部幹部会が終了した18日夜、師弟の共戦譜、生命の讃歌ともいうべき「人間革命の歌」が完成する。翌日の夜には、早くも全国各地の会合で声高らかに歌われ、更に世界各地の同志へと広がっていく。この年の暮れ、学会本部の前庭に、山本門下の弟子一同の誓願により「人間革命の歌」の碑が建立される。その碑に、伸一は、「恩師戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 山本伸一」と刻んだ。
【「敢闘」の章】
男女青年部が結成25周年を迎えたこの年の夏、全国各地で夏季講習会・研修会が行われる。伸一は、多くの青年たちと対話しながら、「創価の師弟の精神」を伝え抜こうと敢闘の日々を重ねる。7月23日には名古屋で全国から集った「青春会」を激励し、三重県にある中部第1総合研修所へ。歴代会長の精神を学び継承するため遺品等を展示した記念館をはじめ研修所内を視察。到着したその夜から、勤行会への出席や、ドクター部、教育部の代表、三重の功労者らの激励に全力を注ぐ。26日は中部学生部の代表と懇談会をもち、「学生部厚田会」が結成される。30日からは、舞台を神奈川県の箱根研修所に移し、男子中等部や東京・新宿区の女子部などに指導を重ねる。
引き続き、創価大学などでの各種研修会に臨み、8月6日には鹿児島県の九州総合研修所に飛ぶ。そして12日に東京に戻り、3日間にわたる茨城指導、創価大学での諸行事を終え、再び19日から九州総合研修所へ。「鳳雛会」「鳳雛グループ」の結成10周年を記念する大会や本部幹部会に相次ぎ出席。終了後には、各地から集った青年たちが幾重にも伸一を囲む。23日には「転輪会」の総会へ。伸一は、そうした諸行事の寸暇をぬうようにして研修所内を回り、行事の参加者や役員を激励し、喜界島の草創期を築いた婦人にも最大の励ましを送る。そして、伸一の入信記念日であり、恩師との思い出深き24日に、会員宅を回り激励を続ける。翌25日は「伸一会」の集いへ。28日には神奈川県文化祭、翌29日には埼玉県文化祭に出席。30日には埼玉文化会館の新装記念勤行会へ。来る日も、来る日も、自身を完全燃焼させ、力を尽くし、同志を励ます。その目立たぬ、地道な労作業のなかにこそ、広宣流布を決する「敢闘」がある。