戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。
日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。
●著者/池田大作
●出版社/聖教新聞社
●発行年月日/2006年11月18日
●ISBN/9784412013490
●サイズ/B6変型判
●ページ数/416
【目次】
金の橋/北斗/光城/楽土
【各章の概要】
【金の橋】
昭和43年、山本伸一は、9月8日の第11回学生部総会の席上、「日中国交正常化提言」を世に問うた。当時、中国は国際社会で孤立し、国交正常化を訴えることは、命の危険も覚悟せざるをえない状況だった。しかし伸一の信念は、文化の恩人である中国との友好なしに、アジアの安定も、世界平和もない、であった。予想通り反発を呼ぶが、日中友好の先達は高く評価し、周恩来総理ら中国指導部も鋭く注目する。やがて、伸一の創立した公明党が橋渡し役となり、提言から4年後、国交正常化として結実した(1972年9月)。
【北斗】
昭和43年9月、伸一は、北海道の旭川へ、そして日本最北端の稚内へ飛んだ。伸一は、「自信をもて」「稚内が日本最初の広宣流布を」等と期待を寄せた。9月の本部幹部会で、座談会の充実を呼びかけた伸一は、自ら最前線の座談会に飛び込む。
【光城】
昭和43年11月、伸一は5年ぶり2度目となる、奄美の訪問を実現。奄美では、この数年前から、広布を妨害する魔の働きが激しかった。伸一は、同志を抱きかかえるように励まし、奄美を日本の広布の理想郷にと呼びかけた。
【楽土】
昭和44年の新年、伸一は、全同志に詩「建設の譜」を贈った。47年の正本堂建設に合わせ、自身の胸中に不滅の信心を築き上げるとともに、万代にわたる広布の基盤を、と訴えた。2月15日、伸一は沖縄へ。米軍基地に苦しむ沖縄に楽土を建設するために、各人が自らの宿命転換を図り、国土の宿命転換をも成し遂げようと訴えた。さらに伸一と名護・国頭のメンバーとの劇的な出会いなど魂の交流が、同志の闘志を燃え上がらせた。
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