戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。
(聖教ワイド文庫もあります)
●著者/池田大作
●出版社/聖教新聞社
●発行年月日/2013年11月18日
●ISBN/9784412015197
●サイズ/四六判・上製
●ページ数/408
【目次】
福光/共戦/薫風/人材城
【各章の概要】
【「福光」の章】
1977年(昭和52年)3月11日、山本伸一は完成したばかりの福島文化会館を訪問。幾度となく過酷な試練にさらされてきた東北の宿命転換を願い、激励行を開始する。出迎えた東北長、福島県長らに青年育成の在り方などを語り、夜には、福島文化会館の開館記念勤行会に臨む。8年前に示した「希望に燃えて前進する福島」「生活闘争に勝利の福島」「生命力豊かな信仰の福島」の3指針の意義を確認。続けて行われた県・圏の代表との懇談会では、具体的な事例を通して、リーダーの姿勢や団結の要件等について述べ、さらに青年部には、信仰への絶対の確信をつかむよう念願した。
翌日、伸一は懇談会で、2人の婦人に懐かしそうに声をかけた。2人はかつて、伸一が支部長代理をしていた文京支部の日本橋地区に所属していた。1957年(昭和32年)7月、当初、福島を訪れる予定であった伸一が、大阪事件で不当逮捕される。福島の同志は、伸一の獄中闘争を思い、彼が打ち出した“一班一〇(イチマル。10世帯の折伏)闘争”に奔走。このメンバーが原動力となり、地区は全国模範の優秀地区に名を連ねたのである。
福島滞在2日目、伸一は2回目の開館記念勤行会や代表幹部との懇談会に出席し、指導に全力を傾ける。翌13日には、東北6県の婦人部代表との懇談、代表幹部会に出席。さらに「3・16」の意義を込めた福島県青年部記念集会では、「青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となっていくなら、福島は盤石です」と期待を寄せる。
【「共戦」の章】
1977年(昭和52年)3月19日付の聖教新聞で、「八葉蓮華」をデザイン化した創価学会の新しいシンボルマークを発表。山本伸一は、全国各地に完成した新会館の開館記念勤行会に相次ぎ出席。5月17日には、本部幹部会を翌日に控えた九州平和会館に到着。これまで外部会場で行われてきた本部幹部会は、全国に誕生した会館や研修所で行うようになっていた。
九州平和会館での本部幹部会を終えた伸一は、19日、10年ぶりに山口へ。彼は、この訪問を「第二の山口開拓指導」と位置づけていた。夕方、山口文化会館で行われた懇談会では、「山口開拓指導」で共に戦った同志に、「人生の総仕上げ」をテーマに指導。(1)報恩感謝の思いで、命ある限り広宣流布に生き抜く(2)それぞれが幸福の実証を示す(3)広宣流布の後継者を育て残していくことが重要である、と訴えた。
懇談会終了後、伸一は、山口市内を視察。サビエル記念聖堂を眺め、フランシスコ・ザビエルの日本での布教活動に思いを馳せる。そして、世界広布のために死身弘法の信念に立つ、真の信仰者の育成を誓う。さらに伸一は、山口文化会館や徳山文化会館での記念勤行会にも出席し、防府会館も訪れ、一人一人の同志に不退の火をともしていった。
【「薫風」の章】
「九州が ありて二章の 船出かな」――1977年(昭和52年)5月22日、北九州文化会館での句碑の除幕で伸一は、“先駆”の九州の使命は最後まで常に“先駆”であり続けることにあると訴える。青年の代表らと懇談会をもった彼は、かつて小樽問答や「3・16」の式典で司会を務めた経験を通して、司会の役割・要件をアドバイス。さらに、歯科医の青年たちを激励した。北九州では、記念勤行会などの諸行事にも出席したほか、小倉南区の個人会館を訪れ、感謝を述べ、和歌を贈る。
5月25日、佐賀を10年ぶりに訪問した伸一は、創大出身者が地元で活躍している様子を聞き、佐賀文化会館での懇談会に現役生、卒業生の代表を招き、“皆が開拓者に!”と望んだ。26日には佐賀文化会館の開館記念勤行会が行われ、婦人部に新リーダーが誕生。懇談会で伸一は、前任の県婦人部長に、後任の人が存分に力を発揮できるかどうかは前任者の責任であると指導。経済的な事情から大学進学を断念した県男子部長には教養をつけること、副県長を兼任する県青年部長には、県長の自覚で一切の責任、苦労を担うとともに、陰に徹することを訴えた。
懇談会が終わると、婦人部員との約束を果たすために、彼女の夫が営む理髪店へ。誠実な伸一の姿を目の当たりにした夫は、やがて真剣に活動するようになり、未入会であった養女夫妻も信心を始める。伸一が行くところ、蘇生と歓喜のドラマが広がった。
【「人材城」の章】
5月27日、熊本文化会館に到着した伸一は、会館由来の碑文を県青年部長に読ませることから、青年への育成を開始する。懇談では、新会館から新しい人材が陸続と育つことを念願。人材の根本要件は、広宣流布の師弟の道に生き抜く人であるとし、先輩幹部自らが実践をもって同志を触発していくことが大切であると述べた。その後、女子職員と語り合い、幸福観、活動の在り方、年上の部員との関わり方など、若い女性リーダーの悩みに答え、未来の大成を願う。
翌28日、熊本文化会館の開館記念勤行会に続いて懇談会に出席。伸一は、彼が熊本への第一歩を印した三角(みすみ)の同志が奮闘しているエピソードや、玉名(たまな)の友が兄弟で力を合わせて父の借金を完済し宿命転換している様子、集中豪雨に遭った五木(いつき)のメンバーが彼の伝言を胸に変毒為薬していった報告などを聞く。伸一は、五木村に伝わる「五木の子守唄」から、子どもたちの幸福のために教育改革に立ち上がった初代会長・牧口常三郎を思い、断じて不幸をなくそうというのが創価教育の原点であり、学会の心であると訴える。さらに未入会の父をもつ医学生を励ます。また、懇談会のあとも、代表幹部に対し、城の石垣を例に、多彩な人材の育成と異体同心の団結によって難攻不落の創価城ができると語った。
翌29日、伸一は、出発時刻ぎりぎりまで、熊本の同志への激励に魂を注ぎ続ける。